陶磁器には手描きで絵付けしたものと印判と呼ばれる技法のものがあります。
印判はおよそ元禄時代(1688~1704年)以降から、こんにゃく版、木版、いも版などの技法が、有田、美濃、瀬戸などの主要産地で作られてきました。
しかしその技法は幕末近くなると衰退します。染付の顔料である呉須が貴重で高額だったため、手描きのものに比べて大量生産で低価格である印判に大きな打撃を与えたのも理由の一つだと言われています。
その後、明治維新が起こり、それまで布かれていた鎖国令が解かれ、西洋から安価な酸化コバルトが大量に輸入され、明治時代には印判の生産が飛躍的に高まることとなりました。
明治時代の印判の技法は主に二種類あります。
一つは型紙を使用して絵付けする型紙摺り印判、もう一つがエッチングの技法を利用した銅版刷り印判です。
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